2006年11月02日
過去とは・・・
『過ちが去ることが過去』
TVのひとコマ。
私のアンテナにひっかかりびりびりと心に響きました。
人は完璧ではありません。
過ちを犯すことだってあるでしょう。
人を傷付けたり、傷付けられたり・・。
人はどちらの立場にも成り得るもので。
その過ちに気付いたら正していくこと。
謝る事。
その後の生き様で償うこと。
それが過ちを去る!ということではないか?と思う。
そして前も向いて生きていく。
・・きっとそう簡単ではない。。
だから人は『許す』という高次元の感情を与えられたのでしょうか。
人が生きていくのは魂を成長させるため・・・・?
『許す』ために『気付き』のために
人は魂を成長させるような気がします。
傷付いたなら
「私は傷付いた。」と発しましょう。
けんかしたっていいんじゃないかなぁ・・。
そこて知らぬ間に傷付けていたことに気付く。
お互いが誤解していたことに気付くこともあるはず。
残念ながら分かり合えない時もあるけれど・・。
人は人に生かされているのだから
『許し』と『気付き』のためにお互いの気持ちを伝えることは大切だと思います。
お互いの魂の成長のために・・・。
TVのひとコマ。
私のアンテナにひっかかりびりびりと心に響きました。
人は完璧ではありません。
過ちを犯すことだってあるでしょう。
人を傷付けたり、傷付けられたり・・。
人はどちらの立場にも成り得るもので。
その過ちに気付いたら正していくこと。
謝る事。
その後の生き様で償うこと。
それが過ちを去る!ということではないか?と思う。
そして前も向いて生きていく。
・・きっとそう簡単ではない。。
だから人は『許す』という高次元の感情を与えられたのでしょうか。
人が生きていくのは魂を成長させるため・・・・?
『許す』ために『気付き』のために
人は魂を成長させるような気がします。
傷付いたなら
「私は傷付いた。」と発しましょう。
けんかしたっていいんじゃないかなぁ・・。
そこて知らぬ間に傷付けていたことに気付く。
お互いが誤解していたことに気付くこともあるはず。
残念ながら分かり合えない時もあるけれど・・。
人は人に生かされているのだから
『許し』と『気付き』のためにお互いの気持ちを伝えることは大切だと思います。
お互いの魂の成長のために・・・。
Posted by ayu at 01:50│Comments(0)
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